コメントの返信です
リヴァイの記事につけてもらったコメントが長くなってきたので、ここで返信します。
コメント欄は入力しにくいし。
この記事のコメントです。
ミカサさんが書いてることに、それほど大きい異論があるわけじゃ無い。
でも、それで終わり?
そこで思考停止しちゃっていいのかな?罪の意識を持たない犯罪者を社会が裁くべきではないというのなら
死刑に限らず刑罰は一切存在すべきではないということになる。
罪の意識や償いの意識は罪を犯した本人が持つべきあって
他の人はそれを知りようもないし、知る必要もないし
社会は基本的に犯罪に干渉すべきではないということになる。
事実上犯罪野放しになるわけだけど、それがミカサさんが正しいと思う選択かな?
仮に死刑がミカサさんの言うとおり罪を償ったことにならないとして、
じゃあ懲役刑は罪を償ったことになるのかな?殺人が社会とは無関係と書いてるけど、本当にそう思う?
殺した人と殺された人(と遺族)だけが当事者であって、他の人は無関係?
シリア問題で言えば、シリアで何十万人死のうが大量無差別殺傷兵器が使われようが
内乱がどこまで拡大しようが、他国にとっては無関係なのかな?
さすがにその考え方には賛同できない。ミカサさんが感じているように、死刑であっても他国への軍事介入であっても
全面的に正義だなんてことはありえない。
いずれにしても、社会正義、国際正義の名の下に人間を殺すことになる。
でも、それをしないことによってもたくさんの人が死ぬ。
裁かれない殺人犯はまた殺人を犯す。
社会的制裁が無ければ、新たな殺人も増える。
他国からの介入が無ければシリア政府は国民を心置きなく殺傷出来る。
化学兵器を使っても国際的な制裁が無いとなれば
それを使うハードルが一気に下がることにもなる。
念のために書くけど、軍事介入すべきと言ってるわけじゃない。
結局、正義と名のつくものは常に一面的なもので、
「どこからどう見ても完全無欠の正義」なんてものは無い。
常にベストな選択肢は存在せず、ベターだと思う選択をするしかない。死刑が一種の社会的抹殺だというのは、改めて言うまでも無くその通り。
でも、懲役刑であっても基本的には同じこと。
犯罪者を社会から隔離して社会秩序を維持することが最大の目的だよ。
他国への軍事介入も、確かに原始的といえばその通り。
決してスマートなやり方じゃないと思う。
でも前にも書いたけど、「じゃあ具体的にどうする?」
今目の前にあるシリア問題について、現実にどう対処する?
「○○はよくない!○○はおかしい!」という非難はとてもとても簡単。
「○○をすべきだ!」と提案することが大事だけど、これはものすごく難しい。日本が原爆を落とされた国であり、
もっと言えばサリンテロの起こった国ということで言えば
化学兵器の使用に対してもっと異を唱えてしかるべきだと思う。
米国の軍事介入の是非ばかりに焦点が当たるけど、
大量破壊兵器の脅威に対して無頓着な人が多すぎる。
「人を殺す解決」というようなことをミカサさんは書いていたけど
原始的だろうが何だろうが、本当に問題が解決するのであれば、
日本は米国の軍事介入を支持していいと思う。
ただ、化学兵器の使用に関しても、本当にサリンが使われたのか、
使ったのは政府側なのかどうか、分からないことが多い。
米国の煮え切らない態度を見ていても、
軍事介入がいい方向に働くようにはあまり見えない。
実際には、もし軍事介入してもどの程度成果が期待できるか疑問を感じる、
「人を殺しただけで解決しませんでしたテヘ☆」になりかねない。よくわからないから、とりあえず自分の手は汚したくない。
それももっともな考え方かもしれない。
でも、よく考えてみてほしい。
自分達の平和な暮らしが、何によって支えられているのか。
犯罪者を実力を持って拘束する組織、その罪を社会ルールに則って裁く人々、
下された判決に従ってその刑を強制的に執行する人々。
日本を他国の侵略から守るための実力組織、同盟関係にある世界的軍事国家、
抑止力でもあり脅威でもある大量殺傷兵器。
そういうもろもろの、原始的実力も含めた強制力によって社会は維持され、
現実に様々な形で「自分の手を汚している人たち」に支えられて
大きな矛盾をはらみつつ、人々の平和な暮らしは保たれている。
ミカサさんが、文明が進化して知的だと思ってる世界は、
実際には原始的な暴力や強制力によって支えられ成り立っている。
その現実から目をそらすべきじゃない。
> そこで思考停止しちゃっていいのかな?
してませんよ。
私のコメント、ちゃんと読んでくださってますか。
> 「よくわからない」時は、私はせめても自分が人を殺す側にならないよーに考えたいです。
私、こーやって締めてます。
「『よくわからない』時は、自分が人を殺す側にならないよーに」考えたい、と書きました。
> 罪の意識を持たない犯罪者を社会が裁くべきではないというのなら
> 死刑に限らず刑罰は一切存在すべきではないということになる。
私は、犯罪をおかした人を社会が殺す刑罰について、その死には裁きの意味がないと書きました。
生きてるから償いの意識も持てる、と書きました。
犯罪者を死なせてしまったら、犯罪者はなにも考えれません。
なにも考えれない肉体から、どんな償いが生まれますか。
なにも考えれない肉体に、どんな裁きができますか。
私たちは生きてます。
生きてるから、人を殺す罪は重いです。
その罪の重さは、人を殺した人の命を奪うことで、人を殺した人にどう理解させれますか。
生きてる命の価値があるから、命を奪う罪は重いのでしょー。
そういう罪を負わせたいのなら、命を奪うやり方は矛盾してる、と私は考えます。
罪というのは、生きてる人間の意識の中にあると思います。
だから、罪を問うなら、その罪を負う人間を生かしておかなければ意味がないと思います。
死んだ人間には、意識はないです。
死者にどんな償いを求めても、まったく意味がないです。
死をもって償いとする、という考えは、社会にやっかいな犯罪者がいることを許さない「抹殺」にすぎない、と私は思います。
死には死を、というのは復讐の感情です。
死刑は、どんなメリットがありますか。
だれにとって、死刑がある社会はいーのでしょーか。
それを私は反対に知りたいです。
どんな思考も、生きてる肉体から生じます。
私たちは知的生物です。
生きてる頭でいろんなこと考えたいです。
人を殺すのなんて、知性がなくてもできます。
死刑という極刑をなくした社会を、知的な人間社会は築こうとするべきじゃないでしょーか。
懲役刑と死刑はぜんぜん違うでしょー。
犯罪者を、生き続けさせることと、死なせることは、ぜんぜん違います。
> 現実に様々な形で「自分の手を汚している人たち」に支えられて
大きな矛盾をはらみつつ、人々の平和な暮らしは保たれている。
> ミカサさんが、文明が進化して知的だと思ってる世界は、
実際には原始的な暴力や強制力によって支えられ成り立っている。
> その現実から目をそらすべきじゃない。
そうです。
私たちが平和に甘んじた国で、こんなふうにだれからも言論を規制されないで好きなことが書ける自由は、とても恵まれた環境なのだと思います。
そこにいる私たちが与えられている「自由」を、世界の人たちとどうわかちあうか、私は考えるなら、この世の中から自由を奪われ、命を奪われる人たちをなくしましょー、という気持ちになります。
シリアの問題は、軍事介入でなく政治的解決を、という声をあげている国々があります。
アメリカに、早まるな、と言ってる声があります。
考えよう、という声があります。
軍事介入という方法は、短絡的だと思うのです。
どこかで行われてる暴力を、暴力で制していいものか、という考え方があります。
シリアの問題は、私もちゃんとわかってないから、最善策なんて考えつきませんよ。
私で考えれるよーな簡単な問題じゃないでしょー。
簡単じゃない問題だから、暴力を制するには暴力を、という短絡的な考えに飛びつかない道を探るのが知性だと思うのです。
人の命は、どんな理由があっても、犠牲にしていい正当性がありますか。
自分が殺されそーになってる人が、その相手を殺し返す、という正当防衛とは違います。
私たちは、シリアの問題について、自分たちの命はなにも脅かされません。
その安全な環境にいれるのだから、短絡的な解決に飛びつかないで、少しでも悲劇の少ない方法を考えていーと思います。
死刑もおなじです。
その殺人事件に関係ない人たちにとって、殺人者を緊急に殺し返さなければ自分の命があぶない、ってことはないです。
だから、人を殺した人間を、社会が急いで殺さなくてもいーと思います。
死んだ人間に、償いも復讐も防衛も、どんなこともなにひとつできません。
だから、命は殺さない社会を築きましょー。
と私は思います。
だれかを殺す方法ではない道を、知性で考えましょー。
と思います。
こういうの、机上の空論っていうのかもしれないけど、自分に直接利害のない人が遠いだれかの命を簡単に奪う考えもおなじぐらい机上の空論と思います。
だったら、どんな空論でも、私たちは、命をひとつでも生かし続けれる道を探りたいです。
そのために考えたいです。
自分の胸が少しも痛まない遠いだれかの死も「致し方ない」という無責任な感覚で、自分を納得させたくないです。
私は、です。
戦争を制するのは戦争しかない、という社会に私は生きるのは悲しいです。