こわい気持ちはまだ
赤ピンク 手首に巻きつく オトナ石 つけてはずして きらきら見てる
ダリさんからもらったブレスレットがきれいすぎて、何度も見ちゃう。
ラインマーカーズ―The Best of Homura Hiroshi
- 作者: 穂村弘
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2003/05
- メディア: 単行本
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コメントで教えてもらったこの歌集も買った。
まだちょっとしか見てないけど、「サラダ記念日」より好きな感じ。
ネット見てたら、「あまちゃん」の震災の話のことが出てた。
「あまちゃん」は最初の頃、時々見たけど、仕事あるから毎回見れてなかったし、私にはあまり面白くなかったから見なくなった。
だから、ぜんぜん話がどうなのかわかってなかったけど、震災の話がこれから出てくるって読んだら、見てなくてよかったって思った。
震災のことって、私はまだすごい怖い。
被災地の人からみれば、大した被害もないとこにいたんだから、怖がる意味がわからないかもしれないけど。
私は被災地の現実って、ニュースとかを通してしか知らないから、私が思うことってすごい的外れなのかもしれないけど。
でも、まだぜんぜん復興がおわったわけでもないし、これからまた来るかもって言われてる大地震も怖いけど、私はまだ2011年の大地震の日のことを思いだすと、怖い、って気持ちになる。
大地震や津波や放射能の被害を、直接自分が受けたっていうのとは違う。
それだけ被災地からは遠いとこにいたけど、そこにいてもすごい怖かった。
その怖いっていうのは、地震が来た日だけじゃない。
その日は怖いって思うより、大変、って思った。
怖い、って気持ちになってったのは、地震の日のあとから。
3.11の日は、私は地震が来た時、お店で働いてた。
最初はあんまり揺れてなくて、
「地震だねー」
ってほかの人と言ってただけ。
でもすごい長いからヘンだと思ったら、すごい揺れになった。
こまかい記憶ってけっこう忘れてるのも多いけど、あの日のことって再現フィルムみたいに頭の中には断片的に出てくる。
お店の棚からいろいろ商品が落ちだした。
お酒のビンも落ちて割れる音がした。
お店の中がすっごいお酒臭くなった。
お客さんも従業員も誰も怪我とかはなかった。
人間の被害は、その時はぜんぜんなかった。
割れたガラス片づけるのに私は焦ってた。
その時、ほかの人たちがどうしてたかの記憶もない。
みんなバタバタしてたし、フツーの地震と違うって思ったから、家に電話しにいく人もいたし。
地震のすぐあとは携帯は繋がってたみたいだけど、そのうち繋がらなくなって騒ぎになった。
気づいたら停電もしてた。
それから二日ぐらい停電は続いた。
最初は停電しても、そのうちすぐつくと思ってた。
でも、つかないことも考えて、店長と店長代理が停電対策でバタバタしてた。
暗くなる前に、私は一度帰っていいって言われた。
でも、家の無事確かめたら、あとでまた来てって言われた。
外に出たらどこも信号がついてなくて、びっくりした。
信号がついてないのに、車はちゃんと譲り合って走ってて、外は落ち着いてる感じだった。
帰ってからお母さんに電話したけど、もう電話は次の日まで通じなかった。
お母さんは帰宅難民になって、次の日まで連絡とれないまま帰ってこなかった。
弟は家にいたけど、家の中もいろいろ落ちてて、それ片づけてた。
泣きそうになってた。
私の家はその時はまだ停電してなかった。
私は仕事行くけど、お母さんはどこにいるかわからないし、弟に留守番させるのも心配になった。
でも弟は、停電したらベッドで寝てるから大丈夫って言ったから、夕飯はカップラーメンかパン食べてもらうことにして、そのあとのゴハンは私がお店で買ってくるね、ってまた仕事に戻った。
そしたらお店に戻った時は、店中の食べ物がぜんぶ売り切れになってた。
すごいびっくりした。
お弁当とかお惣菜とかパンだけじゃなくて、お菓子もカップラーメンも、とにかく食べれるものはだいたいなくなってた。
チルドのパックジュースや、ペットのドリンクもけっこうなくなってた。
停電で自動ドアは開けっ放しになってたし、中は電気ないからもう暗かったし、強奪かと思った。
でも、地震のあと、みんな停電で夕飯に困ったから、それでびっくりするぐらいお客がきて食べれるもの買ってったんだって。
懐中電灯や携帯の充電器や乾電池やAMラジオやローソクとかもぜんぶ売り切れてた。
売るものもなくなったから、今日はお店はこれで終わりにするんだと思った。
中は電気ないし、みんな、懐中電灯とか携帯のライトで仕事してたし。
夕勤のバイトは来てなくて、電話も通じないから、昼間の主婦パートが残ってた。
でも、家族がある人はもう帰りたがってたから、店長と店長のお母さんがお店にいて、帰りたい人は帰らせた。
でも私とか、その時いたもうひとりの男のバイトは、家が大丈夫なら店にいてって言われた。
帰れる状況じゃないから、残れる人が残るしかないと思った。
「お店は何時に閉めるんですか?」
って聞いたら、納品は来るから営業はしてなくても人は夜中もいなくちゃダメって言われた。
納品が来る、ってのがびっくりした。
でも、その日から、いろんな商品が欠品になったけど、納品が休むことってなかった。
ガソリンもフツーに買えなくなって、車通勤してた人たちは自転車に変えてた。
それでも、納品のトラックが来ると、すごい安心した。
まだ食べ物はちゃんと来るんだ、って安心した。
そういう物流がしっかりしてる会社ってすごいと思った。
いろんな食べ物や飲み物がお店でフツーに買えなくなってから、うちみたいなお店が急に近所で救済所みたいになった。
ここに来ると牛乳が買える、って、子供がいるお母さんやおばあちゃんがすごい喜んでくれた。
スーパーで売り切れのものも、うちは納品の直後に来ればあるから買えるって。
高層の建物は停電するとトイレも使えなくなるけど、お店のは停電中も使えてたから、近所の人たちがトイレだけ借りにきた。
店長はいつも近所の人たちをすごい大事にするから、ぜったいそういうのは断らない。
3.11の当日の夜中も、営業はお休みしたけど、真っ暗な店内で店長と男のバイトと私は納品の受け取りで待機してた。
強盗が来るのが怖かったから、トラック来るまでは鍵閉めてて、来ると男ふたりで外に出てった。
納品が来ると、懐中電灯で取りにいって、機械が使えなくなってたから手書きで検品した。
店内は暖房もとまってるから、死ぬほど寒かった。
みんな自分の上着も着たけど、それでも寒すぎて、店長が自分の部屋にいって毛布と布団もってきた。
それをカラダに巻きつけて納品の待機した。
その夜は、怖いっていうより、ちょっと面白い体験してる感じだった。
でも、なんども携帯つかってみたけど、お母さんと連絡とれないから、帰ってきてるのかどこにいるのかすごい心配だった。
電池のラジオを時々聞いたけど、その時に津波のこと少し知った。
「すごい津波来たって」
って話してて、でもまさか街中が流されるようなのとは思わなくて、被害の大きさがぜんぜんわかってなかった。
原子力発電所の冷却の機能のことニュースになってたけど、その重大性もぜんぜんわかってなかった。
その時は日本の原発ってチェルノブイリみたいな事故はありえないと思い込んでたから、そういう心配ってぜんぜんなかった。
そのあとで放射能が漏れたって騒ぎになった時も、すぐおさまる一時的な騒ぎだと思った。
でも、3.11のことは、その日にわからなかった怖さが、あとになって少しずつわかってきた。
津波の被害の写真を新聞の一面で見た時、なにこれ、って思った。
日本でこんなことほんとに起こった、って現実感がすぐになかった。
お店も、その日からいろいろすごい変わった。
商品の棚があちこちガラガラで、それから何か月も、震災の前の納品とおなじには戻らなかった。
商品のラベルも、印刷の問題なのか、違う商品のラベルを代用してるものとかあった。
ペットボトルのキャップっていろんな色だったけど、震災のあと、少しずつぜんぶ白いのになってった。
いざって時に違う種類のに使いまわしが出来るようにするためだと思った。
商品のパッケージも、インクの色をあまり使わないデザインにかわってった。
復興って被災地ではまだまだだけど、日本が震災の日から回復してきてる、って感じたのは、あんなにぜんぶ売り切れてた食べ物の廃棄が少しずつまた出るようになって、そのうち震災前と変わらなくなったこと。
それから、商品のパッケージがシンプルでなくなってきたこと。
すぐにまた食べ物は溢れて、商品はパッケージも豪華になって、夜はネオンも増えた。
震災後、食べ物がちゃんと来るのか、毎日納品のトラックを見るだけで安心した。
ガソリン買うのにすごい並ぶのに疲れて、このまま車が使えなくなったらすごい不便だって不安になった。
夜中も営業してるお店はどこも外の看板消してて、それで強盗も増えたって話が入ってくるから、夜の営業はすごい怖かった。
放射能の汚染の重大性がわかってくると、お店でおいしそうに売られてる食べ物が毒になったみたいで、悲しかった。
3.11から今日までの、ああいういろんな気持ち、とても貴重な体験だったかもしれないけど、でもまたおなじことが起こるのはすごい怖い。
震災がまだ怖い。
その怖さが自分の中からなくならないかぎり、3.11っておわらない。
フィクションでもう3.11を描くのって、すごいと思った。
フィクションだから、すごい大変な被害の中で、間一髪で助かった人とかも描かれるのかな。
それを見て、それ見る人も、よかった、って喜んだりできるのかな。
助からなかった人も描かれるんだとしたら、それ見た人たち、ちゃんと見れるのかな。
フィクションで描かれるようになったら、あの日が現在進行形のままの今から、ひとつ先に進めるのかな。
いろいろ考えるけど、私は見るのが怖いから、見れないと思った。
ドラマで好きだったキャラが、震災の被害にあうのって、家族や友達のことみたいに思いそう。
だから、ほんとに怖くなりそう。
「あまちゃん」の誰かが、震災で死んだりしたら、そのドラマ見た人も、また震災にあうみたいな気持ちになりそう。
誰も死なないで、って思う。
見ないけど。
誰も死なないほうが震災の現実感はないと思うけど、現実の震災がまだおわってない私の頭の中で、フィクションの震災がもう一回くるのはすごい怖い。
被災地から離れたとこで怖がってるだけじゃ、無責任なのかもね。
震災の実害をもうあまり感じないでいれるとこに住んでる人たちが、あの怖さを忘れないために、フィクションで描く必要も、そろそろあるのかもね。
ドラマを作ってる人の意図とぜんぜん的外れかもしれないから、私があの震災の時の気持ちを書いただけで、ドラマの批評とかではないです。