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ひきこもり女子いろいろえっち

20代ひきこもり系非正規女子のつまんないぼやき。とてもダメな人が書いてます。

コメントと言及のこと

あとで消す―、っていう記事にスターつけてもらってたけど、消しちゃったのでごめんなさい。。。。。

 

※「きじ」って変換したら、一発目に「気痔」って出た。

私以外、使ってないパソコンなのに。

そんなヘンな単語(造語?)、使った覚えないのに。

 

ヤマネおにーさん(id:sho_yamane)が好きそーな単語だと思った(^_^)

 

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この前の記事で、「簡潔なコメントをしてくれたけど、一度見たっきり、それから見つけられなくなった」と書かれていましたが、この記事のことでしょうか。 http://onomiyuki.com/?p=1979 このライターさんは以前にもあなたのことに言及していましたよ。すてきな文章を書くって。

 

っていう質問いただいたので、ここで答えます。

私の言ったこと、気にかけてくださってありがとうございました(^_^)

 

体罰について // None.

 

アクセス解析のアクセス元にURLが出てたので、その時言及に気づきました。

「以前にも」っていう記事のも、アクセス解析のアクセス元の見方がわかった時(最初の頃、解析の見方がぜんぜんわからなかったですー)、やっぱりURLが出てたので読みにいきました。

 

「生きねば」と「生きることにした」の間ー「cocoon」と「風立ちぬ」と「ひきこもり女子いろいろえっち」 // None.

 

読んだ時、嬉しい、って思ったけど、それ以上になんかすごい照れ臭かったので、自分のブログで紹介しにくいままになってました。

 

言及、ありがとうございます。

 

体罰のほーの記事では、

 

ブラジルには「マオ・レゾルビーダ(未解決の人間)」という言葉がある。スペイン巡礼した時に、ブラジル人エリートのマルコスに教えてもらった。

このインタビューで詳しく話しているけど、「マオ・レゾルビーダ」というのは個人的な問題、たとえば家族だったり、恋愛だったりその人の人格を裏付ける内面の問題を自分で乗り越えたり解決できていない人のこと。

「どんなにエリートでも、自分の問題を解決できていない人は人に当たったり、暴力的だったり、他人を攻撃することで自分を満たそうとする。社会的に成功したりしていてもそういう人には気をつけないと行けないよ」とマルコスは教えてくれた。

 

自分自身の解決できない問題を人にぶつける人。

 

体罰について // None.

 

この、「マオ・レゾルビーダ(未解決の人間)」っていう言葉、とても勉強になりました。

 

私のブログのコメントでも、こーいうこと漠然と感じてたことだったから。

 

私にいろいろ議論してくる人の中には、その議論に自分は答えが出てないのに私には答えを求める、っていうのがあった。
それで、その私の返信が気にいらないと、すっごい攻撃的になってきたから。

 

体罰の問題も、自分が受けた人が体罰やる側になるって心理は、自分が受けたスパルタに自分の中でどこか納得いってないから、って思った。

 

自分が受けた「体罰」っていう名の暴力に、自分が泣いたり傷ついたり負けたりしなかった人は、泣いたり傷ついたり負けたりした人が自分より弱いって思っちゃうのかなー、って。
一方的な暴力ふるわれたら、泣いていーし、傷ついていーし、怯えて当然だし、逃げ出していーし。


それがフツーの反応なのに、それを許してくれない環境にいると、「暴力怖い!」って当たり前のことが「正しいこと」じゃなくなっちゃう。
「暴力じゃないよ、それは愛の鞭だよ」

って押しつけてくる環境で、その暴力に耐えた人は、自分がほんとーはつらかったり怖かった本音を自分が押し殺そーとするんだと思った。

 

それで耐えた自分の中にあった弱さを克服するために、「あれは愛の鞭だったんだ」って自分に言い聞かせるのかなー、って。

 

「ふざけんな!あれはただの暴力だ!怖いって言わせてくれなかったから必死で耐えただけだ!」
って言えたらいーのに。
耐えたっていう事実は、その人のほんとーの強さだから、そこは誇っていーんだから。

 

でも、

「耐えたけど怖かった」

っていう本音の「怖い」って部分を自分では認めれない「未解決」な部分が、

「あの体罰には意味があった」

っていう暴力の承認に繋がるんだと思った。

 

体罰っていう名の暴力に耐えれなかった人を、「弱い」って思わなくなれば、耐えたことが「ただしい」って思わなくなる。
耐えた自分の頑張りは誇っていーけど、その暴力は一緒に肯定しなくていーんだから。


「愛の鞭をありがたく受けました」
じゃなくて。
「理不尽な暴力に耐えました」
って言えばいーのに。

 

暴力が自分を強くしたんじゃなくて、その人の精神力がその人を強くしたんだから。

暴力ふるった人に、自分が強くなった功績与えることないのに。

 

でも、自分が耐えれた暴力に負けちゃった人のことを見て、
「自分はあーいう負け犬になりたくなかった」
って怯えが自分の心のどこかにあるから、その怯えを自分で解決できないままだと、次の「負け犬」を攻撃する側に立ち続けちゃう。

自分の弱さを消したいから、人の弱さを攻撃しちゃう。

 

暴力に打ち勝った人だからこそ、強くなれた立場から、
「あの暴力は今も許せない」
って言えれば、「暴力に屈して負け犬になる」ことを怯える後輩たちを救えるのにー。


って、この記事読みながらいろいろ思いました。


話がまた体罰の話になっちゃったけど(^_^)

小野美由紀さんのブログは、私も読者になっていろいろ勉強させてもらってます。

 

最初にいただいた質問に戻ります。

 

簡潔なコメントをしてくれたけど、一度見たっきり、それから見つけられなくなった

 

このことは、小野さんのブログのことじゃないです。

 

これは、多分ツイッターで見たんだと思います。
あの時、ゆっくりできない時に携帯でいろいろテキトーに見てまわってたから、はっきりとどこで見たのか覚えてないし、あのコメントにすごい感銘受けたっていうのに、そのコメントで使われてた肝心の言葉も忘れてます。。。。。

 

私の語彙にはぜんぜんなかった言葉だったから、「すごい!こんな言い方あるんだ!」って感動したのに。

 

その言葉、ちゃんと自分の頭にインプットできてなかったから消えちゃってます(;_;)
だから、また見つけて、こんどはちゃんと覚えておきたい、って思ったのにー(;_;)

 

ツイッターは、私には見方がぜんぜんわからなくて、見た時のツイートがあとになると見えなくなって探せないので、見れてないコメントもいろいろありそー。

 

いろいろ話があっちこっちに飛びまくってる返信でごめんなさいー。