ひきこもり女子いろいろえっち

20代ひきこもり系非正規女子のつまんないぼやき。とてもダメな人が書いてます。

くすくすの勘違い

指摘引用しただけだったのは、「架空の作家の本を自分の棚に並べた」=「自分も架空の存在であることの告白」=「釣り宣言」 かと思ったから、宣伝して回るのも悪いかなと思って。

https://twitter.com/ref21stf/status/394705221902811136

 

あれもこれも台風→追記 」の追記んとこに書いたことに、こんなコメントを返してもらった。

 

そーだったんだー。

 

私、わざわざ追記にして書いたのは、あの感想の記事に突っ込んでくれたふたり(スターの引用とツイッター)が嬉しかったから、だった。

 

風の歌を聴け」を読んだ人しかわからないと思った突っ込みだから、おなじ本読んで、デレク・ハートフィールドのこと、知った時、私とおなじよーに「やられたー!」って思ったかなー、って想像して。

 

私、あの本の春樹のおじさんのあとがきがすごい好き。

あーいうあとがき、書いた春樹のおじさんのこと、ほんとにすっごい好きになった。

 

だから、それで私もあんな書き方して、そこに突っ込んでくれた人がいて、なんか楽しくて、くすくすしちゃって、その気持ちのお礼もあって追記に書いたの。

 

でも、そーいう、楽しいくすくすした引用じゃなかったんだねー。

私が自分で、人から黒い本音、ひきだしちゃった。

そして自分でなんか、がっかりしてる。

 

くすくす、って、楽しくて笑う時と、嘲笑の意味があるからね。

一緒に楽しくて笑ってるつもりで、相手は嘲笑だった、って勘違い、私はよくしてる。

 

 「風の歌を聴け」がすごい面白かったから、あれで私は村上春樹のファン、って気持ちになったから、それでブログに感想書いた。

楽しめた気持ちを言葉にしたくて。

それで、ほかの人にもあの本、「面白かったよ!」って伝えたくて。

 

私もあの本、ブログを読んでくれてる人から教えてもらったから。

 

そんな、ただの読書感想文だって、こんな黒い読み方されちゃうんだー、って、ちょっとびっくりした。


私はもう、釣りだと思う人に、「釣りじゃないです」っていう言葉を返す意味がわからなくなったから、やめる。
私が書くもの、ウソとか釣りとか創作とか架空とか、どんな言葉でもいーけど、とにかくそーいうものを暴きたくて読み続けてくれる人に、私がどんな言葉を返せばいーのか、ほんとにわからなくて、なにを思われてもいーや、っていう、自分にラクな選択しちゃってる。


私がはてなで書くよーになって4か月半ぐらい?


それが長いのか短いのかわからないけど、でもそのあいだに、私ははてなで好きな人、何人かできた。
好きなブログを書いてる好きな人。


そーいう人たちとコメントとかで話したりもしてる。


お互いに書いた文字だけの交流だけど、そんな会話もすっごい楽しい、って感じてる。
もらう言葉も、嬉しい、って思うこと、いろいろある。


ブログで書いたことで、いろんな人からいろんなこと教えてもらったし。
穂村さんとか、春樹のおじさんの小説とか、そんなことだって、私ははてなやってなかったら今でも知らないままだったと思うし。


はてなで好きになった人に、私も言葉を投げかける。
好きな人たちに放つ言葉は、自分のウソじゃない言葉のつもり。


それでいーかな、って思ったの。
黒い言葉に黒い気持ちでこたえるのは、私自身がつらくなるだけだから。


リアルのグチをこぼしたくてブログを書いてる。
そーいうブログで、またグチの種、拾いたくないからねー。


うっかり見たり知っちゃう自分に向けられた黒い言葉を、私はいろんな気持ちで読むけれど、知らなくてもいーことを知っちゃう自分をバカ、って思うだけ。


バカは自分。


ときどき、黒い真意に気づかなくて、コメントをすごいいい解釈してたりするけど、気づかないぐらいのバカは自分を幸せにするバカ。
気づいちゃうバカは、自分がほんとにバカになる。


私の頭にはふたつの種類のバカが宿ってる。


でも、私はブログやってて好きになった人たちに、これからも自分のウソじゃない言葉で話したい、って思うから。


自分を嫌う人に自分を説明するより、自分が好きな人と楽しい話してたいなー、って思う。
それが私の楽しいこと。


人を騙す快感なんて私はわからないから、私は騙すより騙されてたほーがいーな。
人の黒い真意なんて気づかないで。


人を嫌うより嫌われてたほーがラクだよね。
そう思う。
ネットではわざわざだれかを嫌いになりたくないから、私はネットで好きな人をこれからも見つけていきたい。

それが楽しい、って思うから。