いろいろ黒歴史
夕暮れの 空にひろがる 雲の波 きらきらオレンジ 夜はもうじき
街路樹の下で、なんか拾ってる人たち、最近すごい見かける。
イチョウの木の下だから銀杏?って思ったけど、銀杏はまだ早いよねー。
それに、素手で拾ってるし。
そこらへんの街路樹のイチョウって雄木だった気がするし。
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らむねさんのブログの記事、面白かった(^_^)
ウソウソサイトだとしても、
「イケメンのバンドメンバー全員から言い寄られてる、紅一点の美人ボーカル」
っていう設定、読んでみたいー。
「関西の美男美女しか入れない、100人くらいが参加する美男美女サークルの、
ボスに気に入られてる」
ってサークルが気になるー。
私も、ネットで黒歴史ある(^_^)
学生の時に友だちがSNSやりだして、それで私も一緒にやるよーになって、その友だちにナイショではてなでブログはじめたけど。
そのSNSやる前、ちょっとだけ自分でサイト作ってた。
不登校してた時、なんとなく。
その頃、叔母さんがシュミでゲームとかアニメとか画像サイト作ってた。
大学入った時にパソコン買ってもらって、それからなんとなく興味もってプログラミング言語(?)を自分で覚えてみたんだって。
最初は自分でタグでホームページ作って、自分で掲示板とかチャットとか作ってたんだって。
それからゲーム作るよーになって、そのキャラクターを画像ソフトとかで作るよーになって、フラッシュアニメとか作るよーになって、携帯の待ち受けとかも作るよーになったんだって。
叔母さんはそーいう自分で作ったいろいろを、無料で使えるサイトを作ってた。
叔母さんのゲームは、子供でもかんたんに遊べるのだったから、私も遊ばせてもらった。
掲示板にもゲームやった人たちの感想の書き込みがいろいろあった。
キャラクターがすごい可愛かったから、この画像ほしい、って書き込みが増えて、それで叔母さんはそのキャラクターで、携帯の待ち受けとかホームページやグリーティングカード用の素材とかいろいろ作ってた。
叔母さんのとこに遊びに行くと、ペンタブレットで絵を描かせてくれた。
ドット絵の作り方も教えてくれた。
叔母さんはドット絵にもはまってて、それがピコピコ動くアイコンをたくさん作ってた。
携帯用のサイトの素材として無料配布してた。
そのドット絵を配布してるサイトは、携帯からでも作れるとこだった。
不登校してた時、うちは貧乏だったから、お母さんから家の電話は子供は使わないで、って言われてた。
電話代払うのもタイヘンだった頃だから。
それで、叔母さんがこっそり、私に携帯くれた。
これで叔母さんやお祖母ちゃんに電話しておいで、って。
お母さんはプライドが高いから、すごい困ってても、実家に頼りたくないって頑張ってた。
私や弟にも、うちがすごい貧乏って叔母さんやお祖母ちゃんにぜったい言っちゃダメ、って言ってたし。
だから、叔母さんは、うちがお父さんのせいでタイヘンなの知ってても、自分のお姉さんになる私のお母さんに、経済的な援助がなにも出来ないって。
叔母さんは、携帯もお母さんにナイショで持ってなさい、って私にくれた。
私は、その携帯で叔母さんの作った素材の新作とか見たりしてた。
それで、叔母さんが作ったサイトじゃなくて、借りてるサイトのひとつが携帯から登録できるの、知った。
その携帯で作れるサイトは、トップみると、いろんな人のサイトがあった。
小学生とか中学生のサイトもあった。
私はそれで自分も登録してみた。
ぜんぜん学校行けてなかったから、自分と同じぐらいの年の人のサイトとかいろいろ見て、ネットで友だち作りたいって思ったから。
ネットでは本名じゃなくてハンドルネームを使いなさい、って叔母さんに教えてもらってたから、私はハンドルネーム考えた。
でも、友だちがほしかったから、プロフィールは、ほんとの年齢書いて、不登校してる、ってことも正直に書いた。
アカウント登録したら、ホームページが出来てた。
日記とか掲示板とか、最初からあったと思う。
掲示板の使い道がわからなかったから、日記だけ書いてた。
日記には、不登校してる話とか、自分が思ってることとか、読んだ本のこととか。
掲示板のひとつには、自分のポエムみたいなの、いろいろ書いてった。
そしたら、もーひとつの掲示板にいろいろ書き込みされた。
自分と同じぐらいの年の不登校してる女の子の書き込みがあった。
その子もおなじところで自分のホームページ作ってて、それでその子とすぐ仲良くなって、掲示板でいろいろ話した。
でも、その掲示板に、私ぐらいの年の子供がいるっていう主婦の人たちが何人も書き込みしてきた。
不登校してる私を励ましてくれたり、いろいろアドバイスしてくれたり、いろいろお説教してきたり。
仲良くなった子の書き込みがすぐ流れちゃうぐらい、すっごい数のおばさんの書き込みばかりになった。
私の日記やポエムを褒めてくれたけど、自分の親ぐらいのおばさんたちがすごい書き込みしてきたのに、あの頃の私はびっくりした。
それと一緒に、すごい数のおじさんの書き込みもあった。
おじさんたちは、私をリアルに誘ってきた。
不登校してるなら会って悩みを聞いてあげるよ、とか、遊びにつれてってあげるよ、とか、家出したくなったらおいで、とか。
非公開のメールボックスもあったけど、そこにおじさんたちがすごい数のメール入れてきた。
私は、友だち作りたかっただけだから、おばさんとおじさんの書き込みはぜんぶムシしてた。
あの頃、私はまだ13歳で、こーいうのにどーしたらいーのかぜんぜんわかってなかったし。
仲良くなった女の子とか同じ中学生の書き込みだけ返信して、それからあとは毎日日記やポエム書き続けてた。
でも、日記とかなにか書くと、おばさんやおじさんの書き込みがすごい数ついた。
おばさんはみんな私が書いたもの褒めてくれたけど、おじさんたちのはだいたいリアルの誘いだった。
そしたら、ある日、メールボックスにそのホームページの会社から警告メールが入ってた。
リアルの誘いの書き込みはぜんぶ消しなさい、って。
未成年を誘う書き込みは犯罪に繋がるから、書き込みを消さないと強制的に閉鎖します、っていう警告だった。
でも、それ以外にも、おばさんとかいろんな人から、
「あのヘンな書き込み消したほーがいーよ」
とか、
「あの男、Hな誘いしてるだけだから気をつけて」
とか、
「親にこのほむぺ、すぐに見せなさい」
とか、そーいうすごいいろいろ警告メールがすごかった。
私は、会社の警告もほんとに会社のものかわからなくなって、どーしたらいーのかすっごい悩んだ。
なんで日記書いてるだけなのに、おじさんとかおばさんとかいろいろうるさいの!
って、すごいわかんなかった。
だから、うるさい書き込みやメールはひたすらムシして、仲良くなった女の子とかおなじ年ぐらいのサイトの人たちとだけ掲示板で話してたら、ある日、私のホームページが強制閉鎖されてた(;_;)
携帯でアクセスしたら、閉鎖措置っていう意味の画面が出てきて、すごいショックだった。
そこからしか仲良くなった人のサイトに行けてなかったから、それっきり私はなにもできなかった。
登録して3週間ぐらい。
たった3週間で、おじさんとおばさんの書き込みやメールがものすごい数が来て、私は、
「自分と同じ中学生と仲良くなりたかっただけなのにー。なんで?なんで?」
って、なんでおばさんとおじさんがすごい数押し寄せてきたのか、ぜんぜんわかんないまま、友だち作りのサイトはいきなり消されちゃった。
あの頃の私は、ほんとに、なんで自分のホームページにおじさんとおばさんばっか大量に来たのかわかんなかった。
だから、いきなり消えたショックで、もう自分のホームページ作ろうって思わなくなった。
同じ年頃の人と仲良くなりたかっただけなのにー。
なんで13歳の不登校の人のとこに、私の親ぐらいの大人がすごい来るの?
って、あの時の私はわけわかんなくて、ホームページの会社の警告もすごいわけわかんなくて、そのまま自分の日記が消えちゃったショックから立ち直れなかった。
あの時仲良くしてた子、あれからどーしたのかなー。
今もどこかで書いてるのかなー。
私のこのはてなのブログ、12歳の芸能人の女の子の公式ブログのコメントに貼ってた人がいた。
(アクセス解析で知ったし)
その芸能人に読ませよーとしたみたいで、それは悪意じゃなかったけど、そのコメントのあとで、私のブログは性的な内容があるから子供に見せるのはどーか、っていうほかのコメントがついてた。
私のブログが、その中学生の芸能人の人の迷惑になっちゃうのは悲しい。
私はそれ見て、自分が13歳の時のサイトのこと、思い出した。
善意の脅威、っていうのがあるから。
善意を届けるのに、相手の年齢も考慮して、って思った。
私はだから、ブログのタイトルに「いろいろえっち」ってつけてる。
このタイトル、下品だって批判もいろいろ見たけど。
でも「いろいろえっち」って言葉にいろいろひっかかる人は、このタイトルでブログを見るかどーか気をつけれる、と思うから。
えっちいなこと、ぜんぜん書けてないけど、えっちいなこと書きたいって思ったから「えっちいな内容に注意してくださいー」って意味で、ブログのタイトルに「いろいろえっち」ってつけた。
健全な内容しかダメ、な人への警告もあったから。
「いろいろえっち」ってタイトルつけたこのブログ、どこかで紹介してくださる時、相手の方がそーいう内容でヘーキか、相手の方の年齢など、そーいうとこ、ちょっと気にしてくださるとありがたいです。。。。。