ひきこもり女子いろいろえっち

20代ひきこもり系非正規女子のつまんないぼやき。とてもダメな人が書いてます。

100円傘

部屋の中 片づけたいけど 涼しくて 夏より眠い ヤル気が迷子

 

暑すぎる時は、頭の中がぷるぷる溶けて、ぜんぜんやる気のないゼリーになってたけど、やっと涼しくなったら、いくらでも寝れて、カラダがぜんぜんやる気のないゼリーになってる。

 

前の記事で短歌書いてから、言及のこと書き出したら、また長くなりそーだったんで、その話だけでいったん終わりにした。

 

短歌と記事の内容があってないブログです(^_^)

 

ブクログ、5人もフォローしてくださって、ありがとーございます(^_^)

 

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この前のアンナの話してた老夫婦見て、「いーなー」って思った自分の感情って、なんなのかなー、って考えてた。

 

「私、あーいう結婚に憧れてるの?」

って思ったけど、よくわかんない。

そーじゃないとは思う。

 

だれかとずっと一緒に生きる、ってことが、自分の人生の理想のリストにぜんぜんない。

 

私みたいに一応働いててもちゃんと自立できる稼ぎのないワープアは、これから単体じゃなくてコンビで生きていくのがいーよ、っていう考えがある。

そもそも、国民年金って、そーいう考え方だと思うし。

あんなの、ひとり分じゃぜんぜん生活費に足りないし。

 

稼ぎの少ない人たちも、ふたりになれば、稼ぎは2倍になるよね。

だから、なんとか「人並み」になるよー、っていう考え。

 

昔は、大黒柱がひとりいて、その太い柱に乗った屋根の下でほかの家族が暮らす、っていうのが家族の基本モデルだったんだろーけど、これからは屋根は家族みんなの細い柱で支えましょー、っていう時代なんだと思う。

 

時代が変わっても、人は単体で生きれない仕組みになってるよねー。

 

細い柱をあわせて、風に飛ばない屋根支えて、ちゃんとした家で暮らす「家族」。

でも、そんな家族がいない単体の柱は、柱っていえるほどの太さもないと、まるで細い骨にビニールはった傘みたいになる。

 

ちょっと逆風が吹くと、すぐひっくり返って傘は壊れちゃう。

 

そんな頼りない傘もって、単体は生きてくよー。

 

って、叫びたくなる。

人と人がペア組んで生きてく時代ですよー、なんて言われると。

 

これからも時代は、シングル、では「人並み」に生きていけないまんまなの?

 

少子化対策って、シングルを生きにくくすることと、同性愛者に異性愛者とおなじ社会的な権利を与えないこと、が一番コストかからなくて簡単なのかもねー。

って思う。

 

シェアハウスが話題になった時も、こーいうのも私はムリ、って思った。

他人と一緒に暮らせない。

自分の家の中でも、他人に気をつかう、なんてすごいイヤすぎる。

 

そんなのなら、脱法ハウスみたいに、すっごい狭くても、ちゃんと個室、って分けられてるほーがいーし。

 

人嫌い、っていうんじゃなくてー。

「生活」はそれぞれ持ってて、それで人といろいろつきあいたい。

自分のぜんぶにタッチしないで、って人に思う。

 

ダリさんのこと、好きでも、どーしても結婚や同棲したくない、って思うのは、ダリさんはぜったい「べったり派」だと思うから。

 

一緒に暮らしたら、いろいろ一緒。

仕事の時間帯はばらばらだとしても、お財布一緒にして買い物も一緒に考えて、携帯にロックかけたら「秘密隠してる」って思われて、自分だけ外出するたびにちゃんと行先とかだれと会うとか説明して、同じベッドでいつも一緒に寝て、休日は一緒に出掛けて、家の中でドアしめた個室に閉じこもれなくて。

 

なんか、そーいうべったりした生活しか想像できない。

 

ネットで、妻とか彼女の料理がまずい、って話題見ると、

「まずくてもいーじゃん」

って思う。

料理が上手なのこと、望まれちゃう生活なんて、私にはムリ。

料理がヘタだと、いろいろがっかりされる生活なんて、私にはムリ。

 

自分が作ったゴハンがすごいまずかったら、

「私って、料理、超ヘター!」

って、自分に笑える。

「なんだ、このまずいの!!」

って、一緒に笑ってくれる人ならいーけど、

「まずいの、なんとかして」

って要求がある人なら、すごいめんどーになる。

 

お互いの年収を気にする、っていうのも、そーいう考え方、自分がめんどーになる。

相手の年収が高くても低くても、それ、自分のものじゃないし。

自分の年収が高くても(私は高くなるってこと、あり得ないけど)低くても、それでいーかどーかって私の問題、って思うし。

 

ふたり合わせてもビンボーなら、

「私たち、すっごいビンボーだよね!!」

って、一緒に笑えればいーけど。

 

相手に、

「もっと稼いできてよー」

って要求もつと、一緒に暮らすの、すごいめんどーになりそー。

 

人と一緒に暮らすと、「ふたりだから」っていういーこともあると思うけど、なんか相手へ「要求」が生まれそー。

要求を要求と思わないのが「愛」ってことなのかもしれないけど。

 

私は、たぶん、その「愛」がもてないんだと思う。

 

そこまで、だれかを好きになれない。

 

私がすごい好きだった先生も、離婚してからそんなこと、ブログでずっと書いてる。

私は毎日毎日、先生のブログ、読んでる。

先生は毎日毎日、ブログを書いてるから。

 

すごい好きな先生にだって、私はその「好き」っていう感情って「与える愛」かなー、ってギモン。

私が好きな先生も、愛情って感情に依存した共同生活は送れない、って言ってる。

 

先生は、だから、単体で生きてける生活、作ってきてる。

 

私も、自分は一生結婚しない、って思ってるから、単体の生活、のことしか考えてない。

自分が食べてく分ぐらいなら、何歳まで稼げるかな、とか。

 

自分の傘は100円ショップの傘みたいに、すっごい安物で、すぐ壊れちゃうかもしれない。

 

でも、その傘、持てるあいだは、自分の手で持つ。

それが逆風で壊れちゃったなら、私もその風に乗って、剥がれたビニールみたいに飛ばされちゃいたい。