自分の言葉力
ジリジリと 灼ける外から 部屋の中 日陰の熱気 ちょっとだけぬるい
- 作者: 岡井隆
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2011/09/23
- メディア: 文庫
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(略)もし、これが映像の世界ならば、「明るき」の明るさの程度が、如実に表現されましょう。うんと明るいのか、それとも、それほどでないのか。
(略)
言葉は、細部の再現力については無力であるかわりに、大づかみに、印象としての「明るさ」を、たった四拍の音によって言いあらわすことができます。光景の細部については、むしろこれを、読者の想像力の側に、ゆだねています。
一般的にいって、作品に立体感を与える方法に、
① 時の限定
② 場所の限定
③ 場面の導入
の三つがあるのは、服飾におけるT・P・Oの原則と似ているので「T・P・Oを入れて一首をまとめよ」というふうに、平素から説いているのであります。
まだこの本、読み終わってないけど、すごい勉強になる。
自分のブログの短歌は、いつも書く時に数秒で考えてるだけだけど、あとから、あー書けばよかった、って句の訂正したくなる。
短歌を詠むって、ちゃんと言葉に気を配らなくちゃいけない、ってことも、この本で勉強させられる。
ブログにもらったコメントにぜんぜん返信つけきれてないけど、いろいろ読んで、自分の文章のヘタさもすごい感じた。
だれも教えてくれないって言って教えてもらうのを待ってるだけ、っていう批判の意見をいくつか見た。
私の書き方がヘタだからうまく伝わってない、ってそれで気づかされた。
教えてもらうのを待ってるだけ、っていうのは、教えてもらいたいことがあるのはわかってる、ってことだと思う。
自分が「わかってない」ってことをわかってることだと思う。
それがわかってる人が、わからないままでいる、っていうのは、自己責任の部分もあると思う。
でも、「わかってない」んだけど、どうやったらそれをわかれるのか、調べ方や勉強の仕方がわからない人もいる。
そういう人は、グーグルの使い方や図書館の本の探し方を教えてくれる人がいる環境か、教えてくれる人がぜんぜんいない環境か、で、やっぱり恵まれ方って違うと思った。
それに、最初から自分が「無知」ってことにぜんぜん気づいてない人だっている。
それで困らない世界に育ったから。
アイスケースの上に乗っても、中に入っても、だれからも怒られなくて、それだけじゃなくてまわりの大人も一緒にゲラゲラ笑ってるだけの世界だったら、自分が「常識に欠けてる」ってことにぜったい気づかない。
インターネットを知らなくてもだれも困らない世界で育っていたら、インターネット、っていうものを自分と関係ある、ってぜんぜん思わないで大人になったりする。
インターネットのことは自分で勉強した人が多いと思うけど、勉強する必要がぜんぜんない世界にいると、勉強しようって気持ちもぜったい持たない。
自分が無知でバカ、ってことにぜんぜん気づいてない。
それで困ったことないから。
みんなそーだから。
だれかがすごい間違った知識もってても、みんなそれ信じるから、その世界ではそれが正しい知識になる。
だから、
「その知識おかしくない?」
ってだれも疑問もたないから、調べる必要もないし、だれかに教わる必要もない。
「なにも知らないことに気づいてない」世界に、「自分は無知」っていう自覚をそそぎこんでくれるパイプが必要、って思った。
本がぜんぜんない家もあるし、親が本なんて読まない家だと、子供に「本を読みなさい」ってぜったい言わない。
本なんかなくてもぜんぜんヘーキな世界だから。
いじめにセックスがからまるのなんて創作だ、っていうコメントも見たけど、それ見た時、セックスが学校の中のいじめにぜったいはいらない世界のほうが大きいんだ、って思った。
うちの学校だけだったのかもしれないけど、中学の時、いじめっていう形で、女子が好きでもない男子にフェラさせられた。
それもやらされた女子ひとりじゃなくて、いろいろ呼び出されて、それ拒否できなくて、しょうがなくてフェラさせられた。
それは学校の先生にバレた。
でも先生たちは、男子をすごい怒ったけど、女子のことも怒った。
ほんとにイヤなら全力で拒否しなさい、って。
自分で自分守りなさい、って。
暴力でやらされたんじゃないんだから、拒否できたはずだって。
やらされた女子はだれも先生に言いつけなかったから、それも被害を増やしたことになる、って。
でも、フェラだけでよかったって。
レイプじゃないから。
でも男ってのは、フェラだけで済まないことが多いんだから、自分たちで気をつけなさいって。
だれも大人は、無理矢理フェラさせられたのは、レイプ、って言わなかった。
だからその時は、女子だってみんな、レイプとおなじことされた、って思わなかった。
高校でも、そういういじめがあった。
暴力で犯されたわけじゃないけど、拒否できなくてしょうがなくてえっちさせて、それで妊娠しちゃった女子もいた。
中絶するしかなかったけど、その女子は学校やめた。
退学か自主退かわからないけど。
でも学校にいるあいだ、妊娠や中絶はダメなんだって。
先生はそう言ったけど、それは女子だけだから。
妊娠させた男子も同罪じゃないから。
ゴスちゃんがそれですごいキレて、
「ハァ?なんで女子が悪いの?男が悪いんじゃん。そっち退学させろよ。中絶したくてするんじゃないじゃん。えっち断れない女子がぜんぶ悪いっておかしいよ」
って先生たちにものすごい怒鳴った。
自分のことじゃないのに。
ゴスちゃんは、それで先生たちからすごいきらわれた。
でも、ゴスちゃんに同意する女子は何人もいた。
私もそのひとり。
でも、ゴスちゃんと同意の女子のほうが学校では少なかった。
やらせる女子がバカじゃん、っていう女子も多かった。
暴力じゃないとレイプじゃないのかもしれないけど、でもやりたくないえっちを断れないようにするのも脅しとおなじだと思う。
見えない暴力だと思う。
でも、見える暴力はちゃんと叩かれても、見えない暴力ってのを考えてくれる人はあまりいない。
見えない暴力が悪いってことも思ってない人もいるし、だいたいのみんなが暴力って思ってなければ、「見えない暴力はやめて」って気持ちのほうが、「バカ」ってことになる。
高校の時に先輩にいろいろいじめられてすごいこといろいろ言われた。
「ブス」とか「臭い」ってよく言われた。
それとおなじこと、40代のカトリーヌさんも言う。
人にそういうことわざわざしつこく言うのが、言葉の暴力って思ってない人っている。
10代の時はそういうバカでも、大人になってちゃんとわかるようになって、人に言葉の暴力やめる人もいる。
それは、自分のやってたことが「暴力」って気づけたから。
でも、気づけなかった人は40代になっても、
「ブス」「臭いよ」
ってヘーキで言う。
それが正しいみたいに。
そういう小学生みたいな言葉でしか罵れない自分は、正しい、って思ってる。
底辺って、こういうことなんだと思う。
子供の時に自分がバカだってわからないまま大人になっちゃう人もいる。
そういう大人が考える「正しい常識」って、ムカつく人に「ブス」「臭い」って言うことになる。
そういう大人が、子供育てて、その子がまただれかに「ブス」「臭い」って言っても、怒らない。
そういう繰り返しになる。
自分たちがやってることが、非常識とか暴力とか、そういう知識がない世界に、「それは非常識ですよ」「それは暴力ですよ」っていう知識がはいってくるのが必要だと思った。
それが中から湧いてこない世界なら、外からそそぎこむ必要があると思う。
それを「パイプ」って言葉にしたし、無知ってことに気づかない頭に、「あなたは無知ですよ」っていうことを教えて、って思った。
自分が無知だってことがわかれば、それからは自分でいろいろ知識を欲しがれると思うから。
知識が欲しいって思う考えがどこにもない世界も、それが日本のすごい一部かもしれなくても、ほんとにある、って私は思ったから、ああいうこと書いた。
私もまた、ちゃんとした文章の力がないバカだから、自分の考えをちゃんとうまく伝えれない。
いろんなコメント読んで、自分の文章のダメなところにもすごい気づけた。
すぐに頭がよくなって文章力があがるわけじゃないけど、読んだ人の想像力に訴えかけていける言葉を考えることに気を配っていきたい。
短歌って、そういう練習にもなる。
バイトまでもう時間がないので、これ書いたらPC消しちゃうから、ほかのをいろいろ見れませんでした。
ごめんなさい。