ひきこもり女子いろいろえっち

20代ひきこもり系非正規女子のつまんないぼやき。とてもダメな人が書いてます。

明日の私がいる世界

アクセルを 踏み込んでって 加速して 曲がった道を グーッと抜けていく

 

今年も、もーじき終わる。
去年の自分には想像できなかった自分がいる。

 

なんかのきっかけで、学校に行けなくなって。
そんな経験を一度じゃなく、繰り返して。


学校に行かなかったあいだ、私は家で映画のDVD見たり、本を読んだり、自分で勉強したり。
高校になって、家の経済的事情でバイトをはじめて、そこで学校以外の世界ができた。


それでもまた学校に行けなくなった時もあって。
そーいう私のひきこもりの心のドアをあけてくれたのは、「先生」だった。


先生が教えてくれた世界に、私は夢中になった。
知らないことを目の前に山積みにされて、それをひとつひとつ、先生に教えられて、知っていく。


なにかをひとつ知るたびに、自分の世界が広がった。


でも、先生と二度と会えないことになって、私の世界は壊れた。
私は生きていたけど、ただ生きていただけ。


うちはニートの子供を養ってる余裕なんてなかったから、働かなくちゃいけなくて、それで私も働いた。
なにかをしたい、っていうわけじゃなくて、私なんかを雇ってくれてるお店に、ただ通って、そこで仕事をした。


ともだちはいるし、バイトもいろいろ仕事覚えていけたし、私は孤独じゃないし。
めんどくさいことが嫌いだから、めんどくさくなく生きていきたかった。
先生のことも、頭から追い出せるよーになった。


でも、なんでだろう。
突然、自分のブログなんて作ったりして。


それが、はてな。
それは、今年。


自分の部屋にいる時、なにもしなくてもいー時間があって、その時間に、私はパソコンに向かってみた。
パソコンつけて、メーラー立ち上げても、もー、そこに欲しいメールは来ないのにね。
新しいパソコンに、先生のフォルダは作らない。


なんにもない私が、はてなのアカウント取って、それで今、ここにいる。


今年の後半、私の世界に、インターネット、っていう穴がぽっかり開いて、そこに飛び込んで。
そこに開いた世界は、今の私の日常の一部になった。

 

最初は、SNS疲れから匿名のブログに逃げてきたって書いたけど。
そんなふーに、他愛ない考えではじめたささやかなヒマ潰しは、ある日、ささいなことじゃなくなった。


なんの深い気持ちもなく書いた記事が、すごいアクセス読んで、このブログがいろんな人の目に触れるよーになった。


あの日から。
私は、とにかく、また目立たないひっそりしたブログを取り戻すことばかり考えて。


目立つのが怖かった。
あのアクセスの日から、私のブログ遊びは、自分が思ってたのとぜんぜん違う風に乗っちゃった。


今思えば、私はそれにすごいパニックになってたんだなー、って思う。
あれから、だんだんとブログの書き方を変えてきて、面白いことなんてもー書けなくて、今、やっと、私は落ち着いた気持ちになってる。


自分の予想外のこと、いろいろあって、それでいろいろ考えてきて、今、ものすっごい気が抜けた感じで自分のブログに向きあえるよーになった。


私、あの記事をずっと自分で呪ってた。
でも、今、あの記事について、自分の考えが変わった。


あの記事は、私の手に負えないとこに行っちゃった、っていう気分。
はてなで話題になったのはごく一時だけだけど、はてなの外で、今もいろんなところで私のあの記事はぐるぐるしてる。

ときどき、ツイッターでパーッと拡散される波がまた起こったりして。
どこまで行っちゃってるのかなー、って、自分が見通せない遠くのところまで、私が書いたものがぷかぷか漂って、そこで今もいろんな言及がされて。


あの記事は、自分から巣立っちゃった子供、みたい。


いろんな人に読んでもらったよね。
10代から、ずっと年配の人まで。
いろんな環境の人たちに。
それぞれにつけてくれるコメントもぜんぜんちがう角度からだったり。


今もはてなからすごい遠いところで、「あの記事を書いた子」っていうふーに、自分のこと語られてるの、見つけたりする。


私、今になって、あの記事を書いたこと、よかったんだと思えるよーになった。
私もあの記事を書いた時と、違ってる自分、っていうものに気づけたから。


あの時の私だから書けた言葉に、今の自分が、少し違う角度から「私のいる世界」を見つめる。


その「あの時の角度」と「今の角度」のズレてる部分が、自分の変化(成長?)した部分かなー、って。


はてなをはじめた時から、私は自分でも変わったと思うし。


この前、あるブロガーさんから、私のブログで一番好きな記事はこれ、って言われた。

 

路上の歌


それで久しぶりに自分で読み返してみて、この時の自分、今より無邪気だったよねー、って思う。


この頃から、自分の何が変わったかな。


底辺時給でただシフトに書かれた時間分働いて、それでいろいろ仕事中にストレスを溜めてって。
カトリーヌさんとかにイライラが募って、そーいうマグマが爆発しそーになった頃にブログはじめて。
だから、ここでそれをぶつけた。


それだけのつもり、だった。
最初は、ね。


でも、はてなはじめてから、いろんな人のブログや、インターネットのいろいろを見てまわるよーになって。
経営者サイド視点で書かれたブログを見つけて。
それから、私とおなじよーなバイトの立場の人たちのいろんなブログ見つけて。


バイトも、ただ時間どーりに働いてるだけの人、ある程度の担当任されて責任を負ってる人、いろいろ。
そーいうのをいろいろ読み歩いてるうちに、私も仕事の意識が変わってきた。


末端の店舗内のことだけじゃなくて、その上の会社に興味が飛んで。
いろんなビジネスニュースを見て、上の会社がどーいう会社なのか、それをちゃんと知りたくなった。
創業の時から、今の業績まで。
いろんなやり方、いろんな商品開発。


オフィシャルな商品の解説は、書籍でも手に入るし、各店舗に説明の書面が来る。
従業員は試食もあるしね。
でも、私はオフィシャルではない情報も知りたくて、そーいうのも一緒に調べた。


自分とこで売ってる商品が、どんなふーに企画されてどんなふーに商品化されて、その工場の現場はどんなふーになって、それがどんな物流に乗るのか。
原材料の仕入れはどーなのか、なんでその食材が選ばれたのか。

パッケージが変わるたびに、変わった理由やコストの差を自分なりに推察したり調べてみたり。


震災の経験を経て、災害時にはどんな体制になってるのか。
悪天候の時、物流はどんな変化があるのか。


そんなこと、いちいち調べるクセがついた。


CMをチェックして。
新商品が出るたびに、ネットでいろんな消費者の反応調べて。
それをプリントアウトして、お店で、この商品はこの世代に人気だから、って示して、その年代の人が来店する時間帯に納品を合わせるよーに発注かけて。


そーいうふーに、自分の仕事のいろいろを調べて知っていくのがすごい面白い。
っていうことを、私はネットを介して覚えた。


他社はどーなの?
っていうことも気になりだして。
そーいうのも、調べたり、他系列の店舗にいろいろ買い物に行ってみたり。


自分の系列のお店でも、地区によって扱う商品が違うから、違う地域にもいろいろ行ってみて、違いを調べてくるのが面白かった。


本部の株価とか売上とか社員のお給料はどーなの?っていうことや、フランチャイズオーナーになるとどーなの?っていうことや。

こーいうフランチャイズをやった時、税申告ってどーなの?とか。
土地を借りた時と、自分で土地を用意した時と、どー違うの?とか。


もし自分が思うよーな経営の仕方は、うちのフランチャイズとしてどれぐらい通用するの?とか。


そーいうこと、ヒマがあると、いろいろ調べて、そんなノートが増えて。


こんな視点で自分の仕事のこと、考えたことがなかったから、そこが自分の変化だと思う。


それは、やっぱり、ブログをやることが大きな変化のトリガーになってる。


自分の狭いリアルの世界にいないよーないろんな人たちと、ネットで接して、話もできる。
いろんな立場の、いろんな思考で書かれたテキストがいくらでも読める。


知り合いと「いいね」ってやってた小さなSNSになかった窓が、ぱかぱかと私の中で開いてった。


仕事以外のことでも。
いろんな話、どんな話でも、それを話す相手が自分の繋がってるところにどこかにいて。


ツイッターをはじめてからは、ブログ周辺から私の繋がる範囲がパーッと広がった。
ブログを読んでもらったり、私が読みにいったり、そーいうのだけじゃ接点もなかった人たちと、ツイッターで話をする。


DMで、今まで名前しか知らなかったブログの人と、すごい真面目な話をかわす。
そこから、私の思考の網がまた広がって、自分で気づかなかった角度を発見して、いろんなものを見直す。


以前に読んだことあるブログに、私はその時、感想を自分の言葉で残していた。
でも、今、その記事を読み直してみると、その時の自分には見えてなかった視野が広がってることに気づいた。


この記事はこんなことが書かれてたんだ、っていうすごい発見。


前には気づかなかった、その時の自分と、今の自分のあいだにある「差」は、自分の成長かなー、って思う。


はてなは頭がいい人たちが多いから、私は、そーいう人たちの書く言葉を必死になって理解しよーとしてきた。
そーいうことが、いつしか私の日常のひとつになって、パソコンつけると、私の頭になかった言葉や知識や思考や感情がどっとディスプレイに漂う。


知らないことを見ると、それを調べてみる。
その先にまた知らないことがあって、そこからまた調べてみて、なにも見えてない暗闇に灯りがさす。


それで、ただ、だらだらと生きてただけの私の中に、見えてきた道があるよー。


そんなところに、そんな道があること、私はわかってなかったよね。
そこから先に進む時、ブログのよーな匿名でいれない世界があって、そこで本名を明かして、自分のリアルへ続く道を探っていく。


自分のヒマ潰しの名無しのインターネットから、リアルの世界にトンネル、できたよね。


この半年で。
たった半年で。
自分の世界は変わった。
世界が、っていうか、私の頭の中が、変わった。


私が今、こんなふーに生きてること。
それは明日の自分に繋げれる、っていう実感がもてるよーになった。


今まで、先生に開けてもらってたドアを、いったんそれが閉じちゃってから、私は開け方を見つけたのかな。
ドアのノブを自分の手で握って、まわす。


有名にもなりたくないし、目立ちたくもないし、どこか草陰にひっそり生える小さい雑草でいたい自分が、そんな小さい雑草のまま、「できること」があるかなー、って。


それを、夢という強くて眩しい言葉になんてしたくなくて。
自分の未来という広く遠いものでなくて、「明日」という手の届くとこの、「今のちょっと先」の自分まで、「今」の自分から辿っていく道を見つけた。


ずっと先の自分なんてわかんないけど、明日の自分はどっちに行くべきかな、っていう、今日の自分の足を踏み出す方向がわかる。


リアルで、やりたい、っていうことを見つけた。
そのために、勉強もはじめた。


これは、私があの記事を書いた時から繋がった糸。


あの記事を書いたことで、私は、自分の知らない世界から多くのことを教えてもらった。


今もどこかで漂う自分の記事は、これからもまた私の視界を広げる言葉を連れて、私のとこに戻ってくるかもしれない。


この記事が連れてきた数々のいろんな人の言葉で、私はたくさんのことを考えさせてもらった。
あの記事を読んでくださったすべての人たちに、感謝します。


ブログのパニックも鎮静化した今、私はここでほんとにのんびり、書いていきたいな。
それが来年に繋げる想い。


はてなでいろんなもの見て、いろんなこと思うよーになったけど、でも、はてながやっぱり好きなんだよねー。
だから、前にも書いたけど、はてなのほんとに片隅で、そっと、じめっとした、目立たないなめこになりたい。


狭いリアルで生きてる私には、必要な世界だから。

先生がいなくなった私には、必要なものがあるから。