ひきこもり女子いろいろえっち

20代ひきこもり系非正規女子のつまんないぼやき。とてもダメな人が書いてます。

要求のない言葉

なにげない 言葉並べて それが魅力 なんでこんなに ほむほむ好きかな

 

またほむほむの本買った。

ほむほむ、好きー。

って、その本、だきしめて言いたくなるー。

 

 


言葉を、こんなふーに使うのが好き、っていう人がいる。
選ぶ言葉は、性格をあらわすものかな。
選べる能力は、知性なのかな。
それとも自意識なのかな。


毎回じゃないけど、ときどき奥華子さんのラジオを聞いてる。
リスナーからのメールに、いろいろコメントつけたりしてるんだけど。
そのコメントが、きれいごと、なんかじゃなくて。
メールをくれた人を傷つけたりはしないけど、でもけっこう鋭いことも言うの。


その「鋭い」言葉の使い方がすごい好き。
あれは知性なのかなー。性格なのかなー。
って、いっつも思う。


日本語、って面白いねー。
みっつめブログの記事書くのに、「痴人の愛」を取り出してきて、そのまま、また読みだしてる。
この時代の日本語って、今の言葉とぜんぜん違って、とっても柔らかく入りこんでくる。


なんでこーいう日本語は、時代で変わってきちゃうんだろー。
今の日本語も、ずっと何十年も先になったら、「あの頃の言葉はよかったねー」とか言われたりするのかな。


インターネットでたくさん残される「今の言葉」は、そのまま日本語の歴史になる。
未来に残る言葉、それを今、自分でも書いてる。


はてなやっててよかったなー、って思ったことが、またひとつあった。


この前、あるブロガーさんが、私のために書いてくれた長文のURLをくれた。
ネットの仕組みがよくわかってないけど、私しか見れないURLみたい。


そのブロガーさんのこと、正直、私は名前しか知らない感じだった。
たまにはてなのトップに出てた記事を読んだことはあったけど、どーいう人なのかはよくわかってなかった。

(って、本人にも言っちゃった失礼な私)


その人から突然、そーいう文を見せられて。
最初、私は、なんか厳しい批判とか書かれてるのかなー、ってすごいドキドキしてクリックした。


でも、そこに書かれてたのは、私がいままで書いてきたことに対する感想だった。
その人からどれぐらい私のブログが読まれてるか、ぜんぜんわかってなかったから、びっくりした。


私をちやほや持ち上げた感想とかじゃなくて。
でも、私が傷つかないか、気にしてくれてる文章で。
これを読む私の気持ちをいろいろ考えながら書いてくれてる文章だった。


その日はそのままパソコン閉じちゃうから、その前に急いで返事した。


それから、そのあと、それを何度も読み直した。
自分のケータイにページ保存して。


批判とか賛同とか、そーいうどちらかのポイントを示した文ではなくて。
私に、ひとつの考えるとっかかり、を与えてくれた文章だった。

自分の生涯の課題、になりそーなとっかかり。


批判だけなら、私はきっとそれ読んで、その書かれたことに対してだけ、反論とか納得とか、そーいう対面の思考にとらわれちゃったと思う。
賛同だけなら、ありがとー、っていう気持ちで終わっちゃったかもしれないし。


だけど、その文章は、そこから私にまた「考える」膨らみを与えてくれてた。
その人とそれから少しだけ非公開の場所で話して。
その会話も、こーいうのを知性的な人、っていうのかなー、っていう感じで。


今、はてなでは、批判論で沸いてるけど。
批判に強くなるか、批判に弱い人も認めるか。


そんな話がちょーど湧き起こってる中で、こんなふーに「考え方」を自由に膨らませてくれる言葉があるんだー、ってびっくりした。


私がそれを読んで、どんなふーにとるか、その自由を与えてくれる文章だった。
その私の自由をぜんぜん狭めなくて、それで、私の書いてきたことに「それはどーかな」っていう疑問を投げてくれて。


だから、私はなにも構えなくて、自分の頭でゆっくり考えれた。
どんな返事を書いたとしても、この人はそこを突いて攻撃してこないなー、って思ったから。
私にこーしろ、っていう要求がぜんぜんなかったから。

 

それで私からまた非公開でメッセージを送って、少し話をさせてもらった。


こんな言葉を書ける人がはてなにいるんだよね。
だから、私ははてなをやめないんだと思う。

やめたらもったいない、って思う。